「ダロウェイ夫人」をモチーフに、作者であるヴァージニア・ウルフをはじめ、それにかかわる3人の女性を3つの時代(1923年、1951年、2001年)において、それぞれの一日を描くドラマです。アカデミー賞他、たくさんの賞にノミネートされました。 物思いにふけるヴァージニア観終えて感じたのは、とにかく「素晴らしい映画」だということ。異なった時代に生きる3人の女性の人生が交錯し、絡まり合って進んで行く展開に、冒頭から一気に引き付けられ、観入ってしまいました。この作品は、ストーリーもさることながら、何と言っても、二コール・キッドマン、ジュリアン・ムーア、メリル・ストリープの三女優の演技が素晴らしく(特に私が惹かれたのはジュリアン・ムーア!)、そこに、巧みな演出、美しい映像、そして何より素晴らしい音楽といった要素が加わって、暗くて重いながらも観応えのある作品に仕上がっています。異なる時代の3人の女性が抱える苦悩は、まさに人生そのもの。真摯に、純粋に、自分の生をまっとうしようとすればするほどのしかかってくるしがらみ、世間、肉親、そして家族──。そんな日常と対峙し、己の生きるべき場所を模索する3人。その人生における命題(“日常”にこそ大切なことは隠されている)を、この映画は丁寧に紡ぎ出し、観客の目をクギ付けにします。たとえば彼女たちの交わす会話、しぐさ、表情、そこにすべてが凝縮され、観る側は一瞬たりとも目を離せません。極端に言えば、その表情に隠されたもうひとつの顔、その言葉に隠された真意を感じ、逐一心に留めなければいけない。その心地よい緊張感といったら!3人の女性が共有するのは、生の不安。自分が自分らしく生きることと、社会的役割とのギャップ。死の影、そしてレズビアニズム。これは人生と向き合う映画です。いや、自分が人生と向き合っているのか、それを問い掛けられる映画と言ってもいいでしょう。最初はとっつき難いのかな〜と不安でしたが、決して難解ではありませんでした。3つの話が混乱することなくスムーズにつながり、彼女たちが苦悩の末に選び取る人生を、決して否定せず「だからこそ素晴らしい!」と称えてさえいる作品だから。たとえそれが悲劇に見えたとしても…。【あらすじ】1923年、ヴァージニア・ウルフ(ニコール・キッドマン)は夫とともに、ロンドン郊外の田舎へ移り住む。静かな暮らしのなか、ヴァージニアは新作「ダロウェイ夫人」を書き始める。1951年、ロサンゼルス。『ダロウェイ夫人』を愛読する妊娠中の主婦、ローラ・ブラウン(ジュリアン・ムーア)は、夫の誕生日を祝うため、息子とともにケーキを焼く。そして2001年のニューヨーク。編集者のクラリッサ(メリル・ストリープ)は、エイズに冒された詩人の友、リチャード(エド・ハリス)が名誉ある賞を受けた記念のパーティを企画する。この作品は評価が二分されているようですね。公開当時、「金返せ!」から「感動した!」まで公式サイトの掲示板に好き勝手なことが書かれていたらしい。よって、好き嫌いも実にはっきりと二分される作品でしょう。それはなんとなくわかります。一見なにひとつ不自由のない生活。なぜそんなに陰鬱なの?と問いたくなる人もいると思います。結論から言うと、私はこの映画、大好きです。こういう映画はBGMみたいに何度観ても飽きないと思う。オスカー主演女優賞はニコール・キッドマンの頭上に輝いたけれど、やはりその暗鬱かつ物憂げな「病」を身にまとった作家の演技は凄いです。メリル・ストリープはいつも凄いので、あえてどうこう思わないのだけれど、私個人としては圧倒的にジュリアン・ムーアにしてやられた!って感じです。 花を買うメリル・ストリープ《※以下、ネタバレ注意》夫はすごくいい人で、子供も「ママ、ママ!」となついてくる。しかも彼女は妊娠中です。ジュリアン・ムーア演ずるローラ・ブラウンは夫の誕生日だからと、ケーキを息子と作ろうと計画します。笑顔で子供のケーキづくりのお手伝いを見守るローラ。幸せそうな風景──でも何かが変です。 ケーキを作りましょう♪ 幸せな光景に見えても…善良なるゆえに、良き妻、良き母でなければならないという社会規範を疑いさえしないローラ。けれど「自分は夫や子供を愛していない」という、自分が一番理解している事実、そして罪悪感。これらを無意識の内に押し隠しながら、平凡で平和な日常を演じなければならない主婦の葛藤。子供にむかって「さぁ、おいで」と言いながら、子供を拒絶するオーラを発しているローラ…。残酷です。息子の言動は母親の“それ”を察知しておびえています。母親が怖いんじゃない。母親に捨てられるのが怖いのです。ローラが近所に息子を預け、少し出かけてくるからと言ってなだめても、息子はまるで今生の別れみたいに泣き叫びます。彼女は息子が察知したとおり、そのとき死のうとしていました。母親が世界のすべてである年頃の息子には、こうした母親との日々の生活はさぞ苦痛の連続だったでしょう。けれど、どうしても“今、この家族といることが彼女にとって死に近いもの”だったとしたら?自分らしく生きようとすれば、何かを捨てなければならない。自分らしく生きようとすれば、誰かを傷つけなければならない。自分を大事にすることは、人や自分を幸せにすることとは限らない──ローラは結局、そのとき自殺をしなかった。帰って来た母に抱きつく息子の幸せそうなこと…。けれど、彼女は「死」ではない、もう一つの道を選ばなければ「生きられない」と、その時に固く決意していたのです。ローラは妊娠中の子供を産み、結局すべて(息子も、生まれたての娘も)を捨てて、夫の元から去ったのでした。世間のあらゆる批判、何より息子を心から傷つけることを覚悟のうえで、彼女は「自分が生きること」を選んだのです。終盤、ジュリアン・ムーア演じる年老いたローラが人生を振り返って言います。 「後悔してどうなる?他に方法はなかった」一方、ヴァージニア・ウルフを演ずる二コール。こちらは付け鼻をしていて、本当にこれがニコール・キッドマン?と疑いたくなりました。彼女は少女のような彼女独特の声を抑え、神経質で、わがままで、凛として気高く、もろくて、気難しいヴァージニア・ウルフを見事に演じていました。 ニコール・キッドマン実際のヴァージニア・ウルフは、彼女の近所に住んでいたダーク・ボガードによると「魔女みたいな人」だったそうです。実在の人物を演じる際、容姿を似せることではなく、その精神性を表現することが俳優の最も望むことなのでしょう。この映画の二コールは、その点で見事に成功していると思います。 「パーティには行かないけど誘って欲しいわ」「この町の平穏な生活か死を選ぶとしたら、私は死を選ぶ」死んだ小鳥の傍でより添うように横たわるヴァージニア。印象的な台詞や表情がたくさんありました。二コールの夫役、スティーヴン・ディレインも素晴らしい!ヴァージニアとの駅のホームでのバトルシーンも必見です。夫はヴァージニアがいつ死んでしまうだろうかと常に気をもんでいます。彼女もそれを知っている。自分だってそれは恐ろしいのだ、と言う。もちろん夫を愛していて、感謝もしている。でも刺激のない田舎で暮らす日々が「今にも死にそう」な気持ちをかきたてる。この気持ちをどうしたらいい?夫の「妻に良かれと思った」献身は届かず、暗闇に沈んでゆくヴァージニア…。 「じゃあ、ロンドンに戻ろう」 そう言った夫に真実の愛を感じ、その一方で、勝ち誇ったような表情をする二コールの演技は必見です。彼女たちはいい妻でありたい、いい母親でありたいと常に思っています。けれど皮肉なことに、それが彼女らの苦痛の根源となり、精神を蝕んでいくのです。 女性的映画ではあるけれど、男性陣もまた、特筆すべき演技を披露しています。エド・ハリスは、特に素晴らしい演技をみせてくれました。この映画では彼に一番泣かされた…。まさか彼があの時の──(これは映画をみて真実を知ってください) クラリッサとリチャード最後のシーンがこれまた印象深いです。メリル・ストリープ演じるクラリッサが年老いたローラと向かい合って座っている。現代人のクラリッサはサリーという女性と同棲し、人工授精で産んだ娘・ジュリアもいます。サリーとジュリアはローラを見て「あれが例のモンスター?」とささやく…。 ローラをジャッジするかのように彼女の話を黙って聞くクラリッサ。二人の表情がなんともいえません。一度死を決意するきっかけとなった「ミセス・ダロウェイ」の主人公と、クラリッサが同じ名前だということにローラは気づいていたでしょうか。なぜリチャードがクラリッサを愛し、彼女を“ミセス・ダロウェイ”と呼んでいたのか…。 「幸せだった」といいながら、死を選んだ人。不幸のどん底にいながら、生きることを選んで自分なりの幸福を見つけた人…。人の心のうちはこんなにまで複雑なのだということが見事に表現され、かつストーリーは緻密に練り上げられていました。繰り返しますが、俳優たちの内側から滲み出てくる素晴らしい知性、情熱──すべてが融合し、信じられない高みへと到達している作品。しかも、死をひたすら深刻にみつめるテーマが、見終わった後に「生きる勇気と希望」へと昇華していくのです。映画を観て、しみじみした情感に浸ることが出来る得難い作品。そんな至福の時間を味わえる映画に久しぶりに出合いました。人生につまずきそうになったら、またこの映画を観たい。彼女たちの生きざまが、揺れる自分を励まし、きっと勇気を与えてくれるでしょう。そんな映画には滅多に出合えるものじゃない。
・・・深い映画でしたね。うまく気持ちを伝えられないのがもどかしいです。私は特にエド・ハリスの演技に目を奪われて・・・(名前から、すぐに「あの○だ」とわかって見ていたせいもあるのでしょうが。ネタバレになったら、ごめんなさい)
ローラが捨てた家族が気になって・・・というか3つの時代の男性たちの悲しみに思いがいってしまいました。久しぶりに(今、久と書いて別の悲しみが襲ってきました・・・わかるかただけわかってください笑)また見たくなりました。
すみません。この一文だけで私は泣きそうです
エド・ハリスにはやられた!って感じです。
本当に深い映画でしたよね。
ローラの夫は可哀想でした(でも、だったら愛してくれる女と結婚すればよかったのに…と難癖
もうすぐWOWOWで放映されるのでUPしてみました。
ケーキの色はよく覚えてます!
ブルーでしたよね。ありえな〜い!華やかでアメリカンだけど、夫の誕生日のケーキですよ?!
生活は本当に豊かで、ピシッとしてて、古き良きアメリカのホームドラマのようでした。
この時代を描くアメリカの映画って、内面にいろんな矛盾が潜んでいますよね。
これを観て、「ダロウェイ夫人」を読んでみたくなりました。
黒い好物なら「つぶあん」とか「ひじき」にすれば良かったと。
「ダロウェイ夫人」このDVD見た後、図書館で借りたのですが・・・途中で挫折しました。(汗)
それはすごいです(^_^;)
ひじき夫人とか想像してしまいました。
「お蝶夫人」は全然古くないですよ〜(わたし的に)
「ダロウェイ夫人」は確かにだるそうですね。
今、ある本のせいで、だるくて退屈で作者に怒りすらおぼえているので、わかります…
好きな女優さんばかりで(っていうか、ジュリアン・ムーアはムラがありますが)、重ならない時代を演じながら同じ色合いを出しているのがとても新鮮でした。
先に解説を読んで小難しく重苦しい映画なのだろうと予想して観たら、全然そんなことはなくてすぐにその世界に入り込んだように思います。
それぞれがいつキレるかわからないギリギリの状態で、自分自身の危なっかしさに重なって「このままこの映画がずーっと続いたら私もヤバイ」と思いながら観ました。(まあ、いつも現状に満足出来ない自分を持て余しておりまして・・・^^;)
エド・ハリス、いいですよね。
彼の目はいつも哀しみを湛えていて、もし近くにいたら絶対に惹かれてしまうとあり得ない妄想をしています。
>自分自身の危なっかしさに重なって「このままこの映画がずーっと続いたら私もヤバイ」と思いながら観ました。
わかります、すごく!
私もこの作品、好きだけれど、浸りすぎたら危ないな〜と思って観てました。
エド・ハリスは
悲しいけれど、ローラの生き方は、私は『あり』だと思いました。
何と豪華な映画でありましょう。
エド・ハリスも勿論良かったですが、精神不安定な母親の心を
さりげなく察知するリッチー坊やが、健気というか切ないというか
特に印象的でした。
ところで、ローラがキティに口づけするシーンで思ったんですが、
ローラも実はレズビアンだった、と解釈していいのかなぁ・・・。
豪華でしたよね、何もかも。
私はこの主人公の三人、全員がレズビアニズムの女性だったと解釈して観てました。
無意識というか…突き詰めれば自己愛が人一倍強かったという印象です。
少し出かけてくるからと言ってなだめても、息子はまるで今生の別れみたいに泣き叫びます。>我が息子も全くこの通り・・・私が無意識に発しているオーラのせいなのか?と・・・il||li _| ̄|○ il||li
美狂さん…笑えません(^_^;)
私もそういえば、小さい頃に「お母さんが死んだらどうしよう」な〜んてよく考えてましたよ。
不思議なものですよね…。